白川郷は日本を代表する風景美と伝統が息づく魅力溢れる地域でした…
皆さんこんにちは。今回の記事では、写真には納まりきらない白川郷の雄大な自然を、写真と共にお伝えしていきます。この旅を通して、白川郷が世界遺産に登録された理由がわかった気がしました。
アクセスが良好とは言えない観光地ですが、時間をかけて来る価値がある場所でしたよ…!!
白川郷の基本知識
東京から白川郷へのアクセス
今回の旅路はザックリこんな感じ。
東京
↓(新幹線)
名古屋
↓(特急ひだ)
高山
↓(バス)
白川郷
さて、気になるのは移動時間ですが…
東京→高山で約3時間30分の移動です。高山→白川郷の移動時間はバスで約1時間。つまり東京→白川郷は、電車・バスに乗っている時間だけで4時間30分です。
その他の移動・乗り継ぎの待ち時間を含めると5時間かかります。
東京から北海道までの飛行機の時間が1時間30分の世界ですよ。時空が歪んでいますね。(時空を歪めている主要因は飛行機の速度です。)
なので実質、北海道の3倍以上遠いということです(?)
名古屋→高山および高山→白川郷の道のりはトンネルが多いです。トンネルが多いということは、山を貫通して進んでいます。
トンネルが完成する前まではその山を越えるか迂回しなければ到達できなかったわけです。5時間の長旅とはいえ、5時間で済んでいるところに驚くべきかもしれませんね。ありがたや。
そんな辺境の地(と言っていいのか?)ではどのような景色・文化が見られるのでしょうか。
白川郷って何がスゴイの?
白川郷は1995年に世界遺産に登録されています。1996年に生まれた私が言うのはアレですが結構最近ですね。そんな白川郷、何がスゴイのか?ググれば3秒でわかることだけで私なりにまとめてみました。
白川郷がある白川村は岐阜県の北西部、富山県・石川県に接する県境の村です。
飛騨地方の中でも険しい山々に囲まれており、日本有数の豪雪地帯。「冬季に閉ざされる秘境」とも呼ばれていたそうな。
三角の茅葺屋根の合掌造りは、積雪が多く、雪が重いこの地に適した構造です。世界遺産への登録では建物や景観だけでなく、厳しい自然の中で必要とされた住民同士の助け合いが高く評価されたと言われている。
はい、Google先生ありがとうございました。
雪が異常に降るうえにトンネル開通前までは訪れることも容易ではないこの地域での生活は想像を絶する過酷さだったことでしょう。にわか知識ですが密かに火薬を製造して国に納める重要な役割を果たしていた時期もあったとかで、住民の絆が深まるのも納得です。
そんな歴史ある白川郷について、現代社会でぬくぬく育った私が浅い感想とともに思い出を述べていきます。
白川郷で一泊するなら?
白川郷で宿を探しているなら、私が今回の度で利用した「御宿 結の庄」を推薦します。詳細は過去記事をご覧ください。
甘酒や風呂上りのアイス、夜鳴き蕎麦(夜食のラーメン)が無料。立派な露天風呂も付いており、地元の食材をふんだんに使った夕食はまさに絶品。ちなみに朝食の焼き鮭は私の人生史上一番美味しい焼き鮭でした。
遠路はるばる…!到着、白川郷
高山を出たバスは1時間かけて「白川郷バスターミナル」に到着しました。
「バスターミナル」と言っても、新宿にあるやつみたいな高層の立派なターミナルではありません。だだっ広いただの駐車場のようn……広大な土地を生かした、地域の雰囲気を壊さない景観のバスターミナルでした!
駐車場…否、バスターミナルを出て数歩あるばもう、あらゆるところに合掌造り。ご覧ください。お土産屋さんも立派な茅葺の合掌造りです。
まずは和田家にお邪魔します。
国指定重要文化財、和田家。400円を支払うことで中を見学させていただくことができます。
もう少し外観を楽しみましょう。このくらいのサイズ感です。丁度良い所に人がいるおかげで、屋根の大きさが伝わるでしょうか。
おじゃましまーす。
広い広い一軒家です。居間、寝室、仏間などたくさんのお部屋がありましたが、一応人様の家の中なので敢えて写真は少なめで。
こちら一般公開されている部屋もあれば、普通に生活の場として使用している部屋もあるのですから驚き。「ここから先は生活部屋なので入らないでください」的な張り紙がありました。
築300年を超える物件です。「200年前の今日はここでどんなことがあったのかな」などと思いを馳せながら見学しました。
昔ながらの階段で上の階へ。
おばあちゃん家あるある、急すぎる階段です。
70度くらいはあるのでは?高所恐怖症の人は登るのに苦労しそうです。
ちなみに私は高所大好きなのでスキップして登りました(嘘)
上から見るとこんな感じ。うっかり滑ったら…さすがに擦り傷では済まなさそうですね…
「落ちないように気をつけてね。」と左側にポップな字体で注意書きがあります。
工夫が垣間見える屋根裏の見学
階段を登り切ったこの屋根裏部屋が一番の見学ポイントではないでしょうか。あの立派な茅葺屋根の裏側が大公開されています。
完全な木造建築です。釘とかは使っていないはずです。(知らんけど)
その代わり、縄でしっかりと大木を結び付けています。
縄だけやけに新しい気がしませんか?
これってつまり、縄は定期的に新しいものに替えているのでしょうか。300年以上建ち続けるにはメンテナンスもしっかりしていないといけませんからね。
おいおい!締めが甘いじゃん!危ないぞ!!
と、思いきや、これはわざと。雪の重みで軋むことを考慮して、敢えて余裕を持たせているらしい。この方がうまい具合に雪の重みを分散できるって訳ですね。はぇー、昔の人の知恵ってスゴイなー。
白川郷の合掌造りが長持ちする理由
ところで、屋根を構成している骨組みの木々って黒いですよね?これってなんでだと思います?
私は最初、現代でいうTwitterのダークモード的な感じで「なんとなくカッコいいから」だと思っていましたが、正解は「一階にある囲炉裏を使って木の防虫・防菌のために常時燻していたから」らしい。
なるほど、骨組みの木が虫や病気にやられてボロボロになってしまったら倒壊の危険があります。はぇー、昔の人の知恵ってスゴイなー。語彙力がなくて全く同じ感想が出てしまいます。
こんな感じで、屋根裏部屋には穴が開いている箇所が数個ありました。
この下にあるのが…
この囲炉裏です。昔はこれでずっと燻していたんですね。今は常時燻している訳ではなさそうです。だから縄の色はキレイなままなのかな。
ということは、あの黒い木々は数十年、もしかしたら数百年前のものがそのまま…!?
長い長い歴史を肌で感じ、エモーショナルな気分になって見学を続けていました。すると…
いや、築300年の家にfree Wi-Fi飛んでるんかーーーい!!
なんか時代のギャップに笑ってしまいました。その時代に合わせた変化を取り入れることも、長く形を保つ秘訣なのだというメッセージかもしれませんね。深い。
和田家周辺、広がる大自然!
さて、和田家の見学も終わり、和田家周辺を散策します。
和田家に限らず、合掌造りの家の近くにはこのような小さな川がたくさん流れていました。どこかで聞いたのですが、これも工夫の一つ。火事に弱い木造建築のため、いつでも消火ができるように水を貯めておく必要があるとかないとか。
そういえば、集落にはこんな「放水銃」もありました。
これを使って水をばら撒くシーズンもあるらしい。興味があったら是非その時期を狙って見に行ってみてください。
外から見た和田家と、その脇道。家を出たらこの景色。すごく目が良くなりそう。
これは3月中旬の景色ですが、夏はもっと緑豊かなんだろうなぁ…
ほんのり雪が残った山々を背景に、合掌造りがポツリポツリ。
この日は曇天でしたが、それが逆に厳かな佇まいを強調してくれているように見えます。古き良き日本の景色、という感じですね。
白川郷のメインストリートをぶらぶら。
白川郷のメインストリートに戻ってきました。道幅が広く、意外と車の通りが多かったような気がしました。交通網が整っている証拠です。
この通りにはお土産屋さんや小腹を満たすのに丁度良い喫茶店が並んでいました。
というわけで、いただきます。飛騨牛ソフトクリーム(パリパリチョコレート)(400円)です。
なんでもかんでも「飛騨牛」って付ければ良いと思いやがって!!
と言いながらニッコニコで食べました。
うーん。これは飛騨牛の牛乳の味だ。
なんて、わかりもしないことを言いながら味わいました。普通に美味しかったです。
郵便ポストもありました。お手紙を送れば日本のどこへでも届くってスゴイ。改めて感心しました。
回収時間が一日一回なのが白川郷らしさがあって良いですね。この地域で暮らしている人にとって重要な、唯一の郵便ポスト。東京でもたくさん見ているのに、なぜだか特別感が溢れ出ていました。
メインストリートの端っこまで来ました。ここから先は国道に繋がり、合掌造りはなくなります。
さすがにここまで来る観光客は少ないようで、まっすぐな道に誰もいないという田舎っぽさ溢れる写真がとれました。
水墨画で描いたような雪山も見えました。良い雰囲気ですね…人間を近づけさせない大自然の覇気を感じました。
絶対に行くべき!白川郷を一望できる展望台
白川郷記事の最後に、最大の見せ場です。集落を一望できる展望台に向かいます。
徒歩でも展望台へは行けるようですが、メインストリートの奥まで行って帰ってきた直後だったのでバスを利用することにしました。先ほど見学した和田家の近くにシャトルバス発着所があり、片道200円で利用できます。
展望台の近くの駐車場で降ろしてもらいます。駐車場から見えるこの山の景色だけでも「おぉ…!」と声が漏れました。
一枚の屏風に描かれているような、現実離れした美しさ・大きさの山々。写真ではうまく伝わらないのが残念です。
さて、展望台ってどんな景色なんだろうな…と進むと…
白川郷に来たら必ず来るべき場所
うおぉぉおおおお!!!
こりゃあスゴイ。さっき歩いてきたメインストリートはもちろん、合掌造りの建物がずらり。合掌造りは風向きの関係ですべて同じ方向を向いている、という事実もここで、この目で確認できます。
後ろには立派な白山連峰が。さっき見た水墨画のような雪山もバッチリ見えます。
ここから見える景色は、この300年でどう変わったんだろうか。
合掌造りではない建物は、昔は合掌造りだったけど建て替えたものなのだろうか。
300年前はもっとたくさんの合掌造りの家が連なっていたのだろうか。
あまりの絶景に、歴史に思いを馳せる
「江戸時代」と聞くと、架空の話のような、本当にあったのか実感がないというか、自分とは隔絶された世界線の話のように思っていました。
けれどこうやって、300年前に建てられた家に入って、中を見て、触れて、歩いてみると、ほんの少しだけ数百年前の息遣いを感じた気がしました。
「合掌造りは、300年前の人が自分の家が潰れないように一生懸命考え抜いて生まれたものなんだなぁ」
「今ある骨組みの木それ自体は数十年前のものだろうけど、”ここにこのくらいの大きさの木をはめ込む”とか”ここで木と木を結ぶ”とか”結び方はこうやる”とかは初代の人から今の人までしっかりと伝わったんだなぁ」と。
言語化して伝えるのはとても難しいですが…
「昨日」が2回繋がって「一昨日」になるように、「昨日」が365回繋がれば「一年前」になるし、それが3650回繋がれば「10年前」になるし、それってつまり109500回の「昨日」を辿ると「300年前」に確かに繋がるんだなぁ、と。
「今」と「江戸時代」がようやく私の中で繋がった瞬間でした。
展望台からのこの景色を見て、思いを馳せて、「今」と「江戸時代」が繋がって、私はそこに感動したのかもしれませんね。
白川郷がなぜ世界遺産になったのか?ようやくわかった。
帰りのシャトルバスはとても人が少なく、乗客は私含めて3人だけでした。
バスの運転手さんが
乗ってる人少ないから、下に着くまでの間に白川郷に関する質問受け付けるよー
と言ってくれたので、先ほど気になったことを聞いてみました。
展望台から見える合掌造りって、昔はもっとボンボン建っていたんですか?今あるものは生き残りの精鋭ってことですか??
運転手さんは優しく答えてくれました。
いやぁ、合掌造りの数は昔と変わらないと思うよ。
集落に今ある普通の家は、現代になって他から引っ越してきた人たちじゃないかな。合掌造りで建てられた当時はここに住んでいる人はそこまで居なかったはずだからねぇ。
なるほど。確かにここは豪雪地帯でトンネルや車・電車がなければ容易に辿り着けない。
こんな立派な山に囲まれて、食べ物は安定供給されていたのだろうか。雪の事故をどう防いでいたのだろうか。ここに住むということは、相当大変な環境だったはずだ…
冒頭で書いた世界遺産に選ばれた理由、「建物や景観だけでなく、厳しい自然の中で必要とされた住民同士の助け合いが高く評価された」という意味がやっと分かりました。合掌造りの補修も住民間で協力しあったことでしょう。
それと同時に、300年前の人たちがあの展望台から見る景色は、今日私が見た景色と(合掌造りの数だけで言えば)変わらないんだと考えると感動が大きくなりました。
ありがとう、運ちゃん。
白川郷散策のまとめ
こうして私の白川郷観光は終了しました。とても良い刺激になりました。世界遺産って伊達じゃないね。
過酷な環境下において、合掌造りの屋根の補修をはじめ、日常生活に至るまで少ない村人たちで助け合った結晶が現代まで繋がっているのです。とても感動しました。歴史を感じて感動できるなんて、私も大人になりましたね。
皆さんもこれを機に自分の肌で白川郷の歴史を感じてみませんか?
東京から片道5時間。現代にしては移動にとても時間がかかる場所ですが、それでもここに来るだけの価値はあると思いましたよ。
最後までご覧いただきありがとうございました。
白川郷のレポート、細かな気づきが面白いですね。茅葺きの屋根は、定期的に葺き替えが必要で、かつては村人が総出で一棟づつ順番に葺き替えていったとききました。縄が新しいのは、葺き替えが最近あったからかな…?私も、実際に見に行きたいです。
読んでいただきありがとうございます!!
村人が総出で…!そりゃあ団結力も高まりますね。素敵な情報ありがとうございます。
実際に見て触れて感じるものもあると思いますので、ぜひ次の旅行先にしてくださいね✨