さて、「いつか投稿したい」と言っていた自己紹介記事です。お待たせしました。
自己紹介と言っても、普通の自己紹介ではありません。
まずは私がいかにして旅行好きになったのか?
そのきっかけになった出来事についてご紹介しましょう。
本題に入るその前に、いくつかお断りをさせていただきます。
- 今回の記事で初めて当ブログを読んでくれている方へ。
はじめまして。当ブログは旅行記をメインに楽しい気持ちで記事を作成しております。そんな中で今回は変わり種の記事になっております。できればまずは他の楽しそうな記事からお楽しみいただくと良いかと思います。 - 「尿管結石」について調べ、その痛みを和らげる方法を求めてこの記事に辿り着いた方へ。
はじめまして。辛いですよね。当記事は残念ながら尿管結石の体験記でしかなく、裏技的な解決方法等は解説しておりません。どうか安静にして、元気になったらまた来てください。今は辛いですが絶対に治ります。 - いつも当ブログを読んでくれている方へ。
いつもありがとうございます。数々の旅行記はお楽しみいただけましたか?今回の記事は私についての記事になります。文字ばかりです。しかも長いです。いつも以上に。中にはネガティブな気持ちになる内容も含まれるかもしれません。それでももし、興味があればご覧ください。エンタメとして、軽い気持ちで読んでくださいね。
はじめに
前置きの時点で既に長いですが「はじめに」なんていう更に無駄な前置きをしてしまいました。
言っておきたい事があったんですもん。
まずはじめに、「いかにして旅行好きになったのか?」については、大きく分けて3種類の理由があります。身体的理由・精神的理由・環境的理由の3種類です。今回はそのうちの「身体的理由」の観点のお話になります。
つまり、このような記事が最低でもあと2回あるということです。
どうです?あまりの長さに口開いてますよ。閉じてください。
まぁ「長距離移動でやることないなぁ~」的なときの暇つぶしには丁度良いシリーズにはなると思うので、各自うまい事ご活用してください。
予兆は2022年4月12日。全てはここから始まった。
2022年4月12日。まもなく13日になろうか、という時刻。お風呂もご飯も済ませ、就寝前の寛ぎタイムを過ごしていた。人をダメにするクッションに身体を預け、スマホをだらだら眺めるいつもの日常…。あーあ。明日も仕事だし、そろそろ歯を磨いて寝なきゃなぁ。なんてのんびりしていた。
すると突然、猛烈な便意が押し寄せた。やれやれ。私の腸はこんな時間にも働き者だな、と悠長なことを考えた矢先…あれ、結構痛いな…うん、これヤバイやつかも。
とりあえずトイレに駆け込んだ。駆け込んだものの…何も出ない。便意ではないのか?なんだこの腹痛は?次第に強くなる痛みは、もう姿勢を正せないほど私の身体を蝕んでいた。
これは便意ではない。トイレに籠って10分は経っただろうか。漸くこの結論に至った。
よくわからないが、寝てしまおう。寝てしまえば、身体の全てはリセットされる。
パソコンでいう再起動だ。強制シャットダウンをして次の日に起動すれば何事もないだろう。
這い出るようにトイレから脱出し、歯磨きのために洗面台に向かう。とてもまっすぐ立っていられない痛みだった。身体をよじりながら、なんとか歯磨きをした。歯磨きを終えた私は、布団に倒れ込み、こんな痛みの中眠れるのだろうか…?と考えながらも…身を丸めながら…なんとか、眠りについた。
翌朝、いつも通りの時刻に目覚める。
2022年4月13日早朝。目が覚める。
昨日の痛みは…よかった、全く何もない。すごいぞ我が身体。さすがに強制シャットダウンしてしまえばこちらのものだ。原因不明だけど、また「いつもの日々」が過ごせる。普段は何も感じない「いつもの日々」が、その日は少し有難く感じた。
そして出社して勤務が始まったころには―もうそんなことは忘れていた。
偶然の産業医面談
2022年4月15日。この日はもともと予定していた、産業医(勤務先に居る医者みたいな人に健康相談ができる)との面談があった。今はもうピンピンしているが、一応12日に起こった出来事を話してみた。すると産業医は、考えうる病気をいくつか羅列してくれた。うおぉ、もし本当にその病気だったら嫌だな、というような悪名高い病名もあった。その中の一つで、まぁこれは身体的特徴から考えにくいだろうけど、もしかしたら、ということで「尿管結石」も挙げられた。
尿管結石。聞いたことはある。いやいや、身体の中に石ができてたまるかよ。塩分過多とか乱れた食生活とか、肥満体系な人が患う印象だ。私は塩分摂取量には気を遣っているし、食生活も乱れていない。自称170cmで体重は55kg程度の標準~痩せ気味な体系だ。
ともかく、あれからもう何も起こっていないし、これから起こるはずもないし、大丈夫だろうと考えていた。否、考えたかった。産業医は「それほどの痛みなら、もしもう一度症状が起きたら必ず病院で検査してくださいね。場合によっては救急車を呼ぶのも躊躇ってはいけません。」と言った。
はいはい。もう一度痛くなったら、ね。
一抹の不安が過りつつも、相談室を後にした。
2022年4月25日。それは突然訪れた。
2022年4月25日、月曜日。今日から一週間がまた始まる。重い瞼を擦り、時計を確認すると…なんだ、まだ5時じゃないか。いつもは6時30分に起きているのに、少し早かったな…と思った刹那―
徐々に込み上げる、あの強烈な便意―を数秒で通り越して、もっと凄い―花火?そう、誰かが私の体の中で花火を打ち上げている。何が起こった!?腹部を確認するも、当然炎上している訳はない。なんだ。どうした。痛い。苦しい。痛い。痛い。痛い。痛みで意識が朦朧とするのは初めての経験だ。とにかく、とにかく、会社に休みの連絡をしなければ!!!(社畜)
いやいや、まだ朝5時だ。誰も連絡が繋がらない。じゃあなんだ、まずは病院か!?どこの!?何科だ!?
「尿管結石」
ピンときた。あの産業医面談は本当に意味のあるものだった。これは癌や肝硬変ではない。尿管結石だ。泌尿器科だ。直感で確信した。恐ろしい病気ではあるけれど、癌や肝硬変に比べれば数百倍マシだ。いや、マシか?今もなお、腹部の花火は止まらない。
止まらない花火と闘いながら、近くの泌尿器科を探す。どこも始業は8時前後だ。
そんな、我慢できるのか…?どうすれば…!!!
その後も続く、体内の花火。18時間の激闘。
会社に休みの連絡、今の症状は尿管結石で間違いないかの確認、その他病気の可能性等の調べもの、泌尿器科への電話予約を行ってようやく病院へ。病院までは通常なら徒歩で10分。爆裂な痛みに耐えながら、なんとか自力で辿り着いた。
鎮痛剤を打たれた。(でも花火は止まらない。)レントゲンを撮った。尿検査も血液採取もした。
結果、尿管結石だった。医者は驚いていた。初めての激痛でまっすぐ泌尿器科を選択できるなんて、と。
産業医面談、本当に助かった。いや、助けてくれるならこの花火を一秒でも早く止めて欲しいものだが。
死ぬ病気じゃないから、結石が出るまで発作は起こるけどがんばってねと医者は言った。
薄れゆく意識の中で、医者なら早くこの痛みから救ってくれよと理不尽な注文をしようと思ったが―黙って5,000円を支払って病院を後にした。
そこからずっと、寝たきりだった。食事も入らない。眠れる訳もない。一秒たりとも止まらない体内の花火。これが一生続くのではないか、このまま治らないのではないか、治るより先に痛みでどうにかなってしまうのではないか、とネガティブな事ばかり考えてしまう。身体的にも精神的にも辛く、数十年ぶりに目から汗が流れ出た。
最後に時計を見たのは23時頃だった。朝5時から絶え間なく続く激痛花火。私は体力を消耗しきっていたのか、こんな痛みの中眠れるはずはない、眠ったとしたら目覚めることはない、と思っていたのに―気が付いたら眠っていたようだった。
2022年4月26日…目覚め…
翌朝。良かった。ちゃんと目が覚めた。ここで一生が終わるのかと思っていたから本当に良かった。さて、身体の痛みは…うん、とりあえず花火は止まった。あぁ、良かった…けど…。
発熱していた。39度あった。2022年4月といえば、コロナ禍真っ只中。当然出社できる訳もなく、また会社を休んだ。
熱なんて久しぶりに出たな…でも花火に比べたら10,000,000万倍マシだ。
はやく健康になりたい。いつもの日々を送りたい。出社して、仕事して、退勤して、ゲームして、休みの日は一日中ダラダラして…あぁ、いつもの日々って帰ってくるのかな…弱気なことばかり考えてしまうのも熱のせいだろうか。
何にせよ、今は結石をさっさと出して、完治させよう。調べたら2~3週間で出てくるはずだ。もう少しの辛抱だ。元気な未来の自分を想像して自身を励ましつつ、また一日中寝たきりだった。
その後も繰り返す、激痛花火
もう痛みはこないでくれ。そんな祈りも届かず、4月25日レベルの痛みは繰り返した。
5月2日(月)、5月9日(月)、5月16日(月)。目が覚めると激痛が始まった。激痛が始まると、その日の夜に眠りにつくまで痛みは止まらなかった。ポーズを変えても、さすっても、温めても、冷やしても、痛みは変わらなかった。そして翌日には痛みはなくなる。そんな地獄を3週間も繰り返した。毎週月曜日だった。あれか?仕事が嫌なのか?メンタル的な痛みなのか?そんなことも考えた。
ただ、激痛の日は本当に一日が長く、様々な嫌な考えが脳裏に過るし、2~3週間で完治しない苛立ちや、その日起きてみないとわからない予測不能の痛みへのストレスで、心身ともに参っていた。
完治しないストレス、変化する症状
2022年の6月になった頃には、激痛花火はなくなっていた。なくなったとはいえ、朝起きてみないと「今日は大丈夫そうだ」とわからないのだから、毎晩「明日痛くなったらどうしよう」、毎朝「今日は痛くない…本当に良かった…」の確認作業をしていた。本当に辛かった。
辛かったのはそれだけではない。症状が変化していた。
明らかな頻尿。10分に一回は猛烈な尿意に襲われた。
結石が移動しているのであろうが、ち〇この先が痛かった。
歩く震動だけで響いて、痛かった。
排尿中も痛かった。
体内花火のような激痛は絶対に嫌だが、日常生活に支障が出る上記の症状も本当に辛かった。
この慢性的な痛みは日中、常に続いた。
トイレに行くのが嫌になった。
でも頻尿のせいで、何回もトイレに行かざるを得ない。
歩き回るだけで、ち〇こも痛い。
これはこれでもう二度と味わいたくない痛みだ。
こんな症状は6月~8月上旬まで続いた。
というか、日を増す毎に痛みは大きくなった。
激痛発作の方がまだマシなのか…?とすら感じた。
2022年8月7日。4ヵ月の激闘が遂に終結。
8月7日。日曜日。相変わらず排尿が辛い。痛い。しんどい。でも尿意がある。行かなくちゃ。
毎日続くこの地獄、ここのところ痛みも増して本当に辛い。
痛みに耐えながらも幾度目かの激痛排尿をしていたところ…
スポーン!!!!
と、何かが尿と共に出た。
その瞬間、今までの痛みはなくなった。
出た!!遂に出た!!4ヵ月苦しめられた元凶が、遂に!!!!
直径3mm程度の結石くんが排出された瞬間であった。
排尿はまだ続いていたけど、声を出して喜んだ。
一生で最も感情のこもった「よっしゃぁああああああ!」だった。
尿管結石奮闘記、終結。
以上が、超簡潔にまとめた尿管結石奮闘記録です。
では、なぜここから旅行好きに繋がるのか?を解説していきます。
そもそもなぜ私が尿管結石になったのでしょうか。
体質も大きな要因の一つらしいですが、思い当たる節は「運動不足」「水分不足」です。
2020年から続いたコロナ禍。本当に大変でしたね。
皆さんの生活スタイルも大きく変わったのではないでしょうか。
特に私は東京在住。
どこに行っても人だらけ。
密を避けましょう、外出自粛しましょう、緊急事態宣言出します等々、あらゆる行動が制限されましたね。
私はバカが付くほど真面目なので、行政の言うことをしっかりと忠実に守っていました。
その結果、ずっと家に籠ってゲームばかりしていました。
本当に文字通り、ゲームばかりしていました。
会社から帰ったら寝るまで4時間くらいゲーム。
休日は起きてから寝るまで13時間くらいゲーム。
仕事もデスクワークなので全く歩きません。
ずっとずっと、朝から晩までジッと座ってばかり。
当然、汗もかかないから水もあまり飲みません。
水分の摂取はマメにする方だと思っていましたが、やはり動かないとどうしても摂取頻度は下がっていたはずです。
2020年から2022年まで2年間。
23歳から26歳までの貴重な20代前半は、コロナ禍を言い訳に、全く運動もしない、勉強もしない、創作活動もしない、何にも残らないゲーム三昧で浪費してしまったのです。
そんな日々の積み重ねが今回の悲劇を生んだのでした。
本当に悲劇でした。
もう二度と、こんな経験はしたくありません。
でも、そんな悲劇でも、経験したからこそ得たものがありました。
尿管結石から学んだこと
今から書くことは、99人の読み手にとっては「何そのテンプレみたいな学びwwwww」としか感じられないでしょう。ただ、たった1人でも、今後の生き方の参考になれば、尿管結石の痛みを乗り越えた甲斐があります。
私が尿管結石を通して学んだことは
「次の日にはもう元気ではなくなっているかもしれないこと」
「元気で居られるのは素晴らしいということ」
の2つです。
どこかで聞いたことがあるような、テンプレみたいな感想ですみません。
ただ本当に、痛感しました。
昨日まで普通に過ごしていたのに、ある日突然、体内で花火が咲き乱れる経験をしたからこそ。
立っているのもままならない痛みが数十時間継続したからこそ。
これって生きている人全員がそれなりに負っているリスクなんですね。
私みたいに花火が炸裂することがあるかもしれない。
大病を患うかもしれない。
事故や事件、天災に巻き込まれるかもしれない。
当然のことなのに、どこか「自分はまだ大丈夫」「明日は普通にくる」と思っていませんか?
常に怯えて生きましょう、と言いたい訳ではないです。
でも、一日一日を大切に生きなきゃもったいないな、と私は思うのです。
私はお出掛けが好きでした。
何もしない散歩も好きだし、お金をかけてテーマパークに行くのも好きだし、動物園や水族館や植物園に行くのも好きだし、あまり行ったことないけど旅行もとっても好きでした。
でも、まぁ仕事してるからそんなに連休取って遊べないし、まだ若いうちは将来のために貯金も大事だし、なんか未知のウイルス流行ってるし、いつかできたらいいや、と考えていました。
ところが今回の大事件で、考えが改まりました。
明日には思うように動けなくなっているかもしれないのに、今やりたいことをやらないのはもったいない。歳を取っておじいさんになった頃にお金だけあっても、歩き回る旅行なんてできないかもしれない。食事制限があって好きなものを食べられないかもしれない。味覚や感受性が落ちて、美味しいものを食べても綺麗な景色を見ても感動できなくなるかもしれない。
仕事は大切だけど、自分の人生が一番大切だ。仕事を休んでも旅行に行く価値は大いにある。貯金も大事だけど、貯金だけしておくのはもったいない。今経験したことは、この先もずっと思い出として残る。
本当に嫌だけれど、もし遠い遠い将来、自由に動き回れない老体になったとしても、「あのとき経験した〇〇は△△だったなぁ…」とニヤニヤできることの価値ってとても大きいだろうなぁ。
「いつかできたらいいや」って思ってたけど、「いつか」っていつなの?その「いつか」って必ずくるの?
そんな風に考えるようになりました。
私は未だに、毎朝目が覚める度に「今日は身体のどこも痛くない…!!」と感動しています。
身体がどこも痛くないことってこんなに素晴らしいんですね。
目が見えて、耳が聞こえて、好きなところまで歩けて、良い匂いを嗅いで、美味しいものを食べて、あらゆるものに触れて…
今まで当たり前だったものを失って初めて、その大切さに気付く。とはよく言ったものです。
これらを失ったとき、私は本当に絶望すると思います。
今回は無事、全快して全てを取り戻すことができました。
取り戻してから、何事も本当に本当に有難いと感じます。
元気で居られるのは素晴らしい。
あなたは今、元気ですか?
と、いうわけで、この大事件もきっかけの一つとして、欲望には忠実に生きようと思うようになりました。
手始めに、少し気になっていた場所に旅行に行ったらもう、それはそれは楽しくて…!!
道なき道も、今の私なら歩き通せます。
現地の美味しい食べ物を、有難く頂戴できます。
素晴らしい景色を、目とカメラに焼き付けられます。
楽しかった経験を、この先の人生ずっと思い出せます。
尿管結石になったからこそ、やりたいことをやる原動力がパワーアップしました。
会社を休んで2泊3日の旅行をしたら、旅行にハマりました。
楽しかった経験を文字に残したくてブログを始めました。
自分をもっと試したくて、資格の勉強をコツコツ続けられています。
今やりたい事を、全力でやり続けています。
本当に辛かった尿管結石ですが、完治する病気であったことが不幸中の幸いです。
尿管結石程度で済んで本当に良かった。
そのおかげで、欲望に忠実に生きられるようになったし、あれから定期的に運動する習慣もついたし、水分もこまめに摂取するようになったし、食事も今まで以上に気を遣うようになったし、なんだかイキイキしています。
コロナ禍で浪費した貴重な20代前半を巻き返すが如く、とてもアクティブになりました。
超超ポジティブに考えると、この経験をしておいて良かったのかもしれません。
(いや、良くはなかった。本当に嫌だった。辛すぎる。もう二度とならないでくれ。)
まとめ
長くなりましたが、自己紹介記事としての役割を果たせたでしょうか。
私がどんな考えの持ち主なのか、多少は伝わったでしょうか。
要するに、
尿管結石になる→健康な身体の素晴らしさを思い知る→健康なうちに色々やっておこうと思う→旅行をしてみる→ハマる
という、「風が吹けば桶屋が儲かる」みたいな話でした。
この大事件の他にも、もっともっと色々な要因があって今の私があります。
こんな感じの自己紹介を、また気が向いたら投稿させていただきます。
文字ばかりのこんな長い記事を最後まで見ていただきありがとうございました。
皆さんも私も、ずっとずっと健康でいられますように。
お、いい感じに締まりましたね。さすが私。
ちなみにこの記事のキャッチ画像のひまわりは、2022年8月6日、結石が排出される前日に行ったひまわり畑での写真です。ひまわり好きなんですよね。エネルギッシュなひまわりを見たからスポーンって出たのかな?たまたまか。